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花畑薔薇小話:バラの歴史と文化[2](古代ギリシア周辺4)

‹ 2019/08/23 ›

今回は、テオフラストス~!?ではなくて、イーリアス~2種類の香油~の復習、そして師匠プラトンにも触れていきます~。遠い。><

【年表】

まずは、年表、プラトンは話の時代幅がかなりあるのと、イーリアス復習のため、古いほうも含めて、補充し年代背景をより分かりやすくしました。^^;

プラトンを黒太字に。概ねあったとされる噴火の年代。ギリシアで、香水、香料の蒸溜・生産の跡が遺跡として発見されているものを、絵で概ねの年代に配置。考古学的に暗黒な時代領域を赤背景で示しています。

【イーリアス:2種類の香油】

前に、ひとつの香油は人が使うもの、もう一つの香油は神々が使うものと紹介しました。確かに文面と使い手の違いを見ると、そういう2種類が明確に分かれているのですが、よくよく考えてみますと違うと感じました。

ひとつは生きている人が嗜みに使う香油。もう一つのアムブロシア香油は、死体に使う腐食防止・強い防臭用の香油。

パトロクロスが戦死した時には、戦いに参加していないアキレウスが十分な弔いを行ったうえで火葬するシーンがあります。この時代のギリシアでは、英雄の火葬に至るまでには相当量の日数を使っていたようですので、~蘇る~ほどの効き目は要らずとも、今の日本より十分な防腐処理・臭い予防策をしないと、埋葬までに酷くなっていかんですね。

イーリアスでも神々がアムブロシア香油を使うときは人の死後。同じような時代のツタンカーメン。エジプトでは 現代まで残せるミイラの処方がありました。この時代、ギリシアとエジプトが個々に反映していただけではなくて、いくつかを跨いでいたとしても物や文化の交流があったことはプラトンの著でも触れる通りに分かっています。また、この時代の交流はエジプト側のほうが詳しく記録していたようです。

メソポタミアではB.C.3000年頃から、ギリシアでもB.C.2000年頃からは、’蒸溜’の跡も見られ、香水、香料、薬剤の生産現場など遺跡として発見されていることですし、その効果は神々によるものと考えていたとしても、後者の香油は明らかに埋葬までに使うもののようだと考えられますね。

【偉人たち】

B.C.300年前後のギリシアは偉人ラッシュとなります。ソクラテス-プラトン-アリストテレス、テオフラストス-アレクサンドロス大王(3世)まで、互いに存命中に出会う子弟ですね。紀元前の数世紀前なのに、なぜそんなに長けた人材が集中して生まれ、そして記録が残っているのでしょう。この一端には、プラトンの著書でも何となく触れることができます。

ギリシアって元々入植して来た時の流れ・民族性から、国土の捉え方と、元の民族性、言語の訛り具合によって、昔から範囲の捉え方が違うんですよね。同じ出処なのに、我こそは本流のギリシア人みたいな感じで。

線文字Bは、古いギリシア語を古ギシリア文字ができる前に、主にドーリア系の人たちが使っていた文字で、ミケーネ、クレタ島周辺から書板が見つかってます。ある書板には薔薇の香油を含む香油の管理の記録があるようですので、アフロディーテのアムブロシアの薔薇の香油は、薔薇の香料を混ぜた腐食防止用香油だったと思ってもよいですね。

さて、ソクラテス、プラトンは元からアテナイですので、言ってみれば生粋の江戸っ子。アリストテレスとアレクサンドロス3世は、マケドニア出身なので田舎もん。テオフラストスは、レスボス島出身の遠くから上京する若者。

このころの若者が知識を磨こうとしたら、アテナイにきて、アカデメイア等の学校に入って研鑽するのでしょうね。

【ティマイオス】

(岩波書店 プラトン全集12 ティマイオス 種山恭子訳)

ソクラテスが聞き手に回るプラトン3部作の第一冊目ティマイオス。このシリーズの魅力といえば、何といっても~アトランティス~。

それはさておき、ギリシア人の営みや香りについて感じるところを眺めます。

~感覚:味について~

「・・・全体がいっしょに動揺して膨れ上ってくるような水分から出来ているものは、「湧き立ち」 とか「醗酵」・・・こういう影響を及ぼす原因となるものは、~鋭い(酸っぱい?)~・・・」

ティマイオスでは、哲学的な表現で、宇宙観から徐々に身近な地球の組成、そして、人の感覚の話に繋がります。

味のうち「酸っぱい」ものについて、醗酵を例にあげ~酸っぱい感じ~の意味を伝えています。

~感覚:匂いについて~

「・・・水が空気に、空気が水に変化する時、その中間の段階で匂いが生じたわけで、匂いとはすべて、煙か霧かであり、・・・匂いはすべて、水よりは微細で、空気よりは粗大なものとなっています。」

味覚の次に嗅覚、匂いについて触れています。現代化学からしますと、誤解があるところもありますが、香りの相転移の捉え方、そして香りの分子の大きさの考え方は現在の化学にも合致する的確な推理で、全体を通しても、文章は哲学的ですが、考え方は自然科学そのものだと感じます。

香りを水を使って上げ下げする仕組みをきちんと説明していますので、このような時代には蒸溜ができても不思議なことはないですね。

【クリティアス】

(岩波書店 プラトン全集12 クリティアス 田之頭安彦訳)

さて、「アトランティス」の本命クリティアスですが、この本の最大の魅力はアトランティスの全容なんですが。ここでは、その時代或いは古い時代のアテナイがどのようなものだったかにも触れてますので、こちらを見ていきます。

~古いアテナイの話~

「・・・山々は土におおわれた小高い丘をなし、今日(石の荒野)と呼ばれているところには肥沃な土壌に満ちた平野がひろがっていたし、山々には木々の豊恥に茂る森があった・・・つい先だってまでは、、それらの山々から大建築物の屋根を葺けるほどの樹木が数多く伐り出されていたし、これらの樹木でつくられた垂木がいまでも傷まずに残っている」

「・・・地震とデウカリオンの大災害から逆算して三つ目にあたる大洪水とがいちどに起こって、一夜にして現在のような荒涼たるありさま・・・」

この二つのくだりはB.C.400年ごろの時代との比較で、アトランティスを語る程の古いアテナイを語ったものですが、以前のギリシアは、もっと森林や作物が実る土地で今は石の街と化したとあり、もっと昔には、屋根を葺ける樹木を自前で用意できたと言ってますね。

ギルガメッシュの頃、ダマスカス付近にあったレバノン杉の話と同じで、アトランティスが今から12,000前の話というのからすると、大変な誤差としても、実はB.C.2000-1000までの間までには、建材用にも使える森が生い茂っていたアテナイにもあったらしく、地震と大災害、そして大洪水で荒涼な土地となったと記してます。

偉人たちが1000年以上も前のことを語りつつ、その間がなく、急にこの偉人の時代、プラトンのこの説と現代考古学の暗黒時代(遺物が見つかり難く時代背景が見通せない時代)となんとなく、災害繋がりを感じます。

恐らくこの話は概ね間違っておらず、また、荒涼な土地というのが薔薇には大事になります。今の東西融合型の所謂モダンローズってものを育てる際、~バラはとても肥料食いなんです~みたいな話を散々見聞きします。

花を見たいだけならそうなんですけど、果たしてそうでしょうか?荒涼さがなければ、よい香りのするいい花は生まれません。逆に栄養過多なメタボな花ですと、細胞が傷みやすく腐る方向に進み、その水みずしさが仇になるのです。水けの少なさで気を引き締めて生きる命がとっても大事なのです。

~アトランティスの話~

「この島にはまた今日地上に産する香料ならなんでも、つまり根、草、木から香料を採取する植物であれ、花や果実の汁を蒸溜して香料を採取する植物であれ、なんでも見事に繁茂していたし、葡萄も、主食としての穀物や食卓に添えるいろいろな食物・・・」

この句は、今から12,000年前のアトランティス島の自然と暮らしがどのようなものだったかを語る一節です。「今日地上に産する香料ならなんでも」という通り、今、目の前で見知っているもとの同じように「花や果実の汁を蒸溜」、香の取得方法の選択に植物の種類や部位で分け、いかにも蒸溜すべきものを明確に表しています。プラトンの時代、またはそれより古くから香をいかにして得るかが分かっていたことが、文献からも読み取れます。

かなりの哲学的な表現で、プラトンがテオフラストスに教えを与えていたとしても、薔薇の話が芽生える彼の話では、現代人でも分かりやすい自然科学的な表現をしてくれるようになります。そして、これ以降、急速に学問的にも人の嗜み的にも薔薇が人々に近くに寄り添うようになっていきます。

いよいよ、いや、ようやくですが、次回よりテオフラストスへ。