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花畑薔薇小話:バラの歴史と文化[2](古代ギリシア周辺2)

‹ 2019/08/21 ›

叙事詩イーリアス(その2)

前回の~ことはじまり~の続きから。

(ここでの底本は、冨山房 イーリアス 土井晩翠訳を参考の中心にしてます。)

~土井晩翠と南山御蔵入騒動~

さっそくですが、イーリアスの訳者の一人、荒城の月の作詞で有名な「土井晩翠」さんと南会津のお話で、ブレイクタイム。

先々週・先週とご縁があって、何度か南会津町田島に行ってきましたので、ついでながら「旧南会津郡役所」を散策した時の小話。

【旧南会津郡役所】

明治18年(1885年)落成、旧南会津郡役所。福島県に現存する旧郡役所はここと旧伊達郡の2か所のみ。また、もう一つ旧西白河郡役所が南湖公園に入口付近の一部建物として残っています。そても貴重な財産です。この郡役所は、全貌が残っているうえ、設置場所も明治の時代とほとんど一緒、10mくらいしか移築されてないものです。お隣の元場所には福島県の合庁が立っています。

郡役所の入館料は200円。受付の叔母様がとても気さくな良い方でしたので、中の撮影も許可を頂きました。

郡長室には、当時の机と椅子、電話が置かれ、ガラス張りの中には当時の郡長制服が。

この制服は、明治から大正にかけ14代郡長だった 濱田清心の実物。つい数年前にそのご子孫からの申し入れで寄贈があったとのことです。

さて、濱田清心郡長は、薩摩藩の方で、ご子孫も九州の方。明治政府に至りしばらく郡制度の下で地方自治が行われますが、今でいう都道府県制度とはちょいとちがった仕組みだったようです。眺めてみますと、ここの当時の郡長は、代々その半分程度は薩摩、土佐藩の方が任命されています。

自治のほか、監視・管理もあったのかもしれません。6代目眞田庵は、土佐藩出身 元土佐藩軍艦局頭で、坂本龍馬の友人とあります。

会津と薩摩、土佐というと当時は真逆の立ち位置だったようにも感じますが、そのご子孫が制服を大事に相続され、遂に寄贈に至るとは良いお話を聞かせて頂きました。

【丸山歴史公園】

さて、この郡役所の真裏には、丸山公園の丘が広がってます。ちょうど、ボランティアの草刈もあって、小綺麗になっていたところでした。

この公園には、西宮神社の分社もあり、存在感のある大木もあります。

さて、この公園の麓には、郡役所よりもさらに歴史の古い江戸時代の南山御蔵入騒動に関する6つの地蔵が共されています。

六地蔵の隣には、「南山六義人」に思いをはせた土井晩翠さんの詩が供えてあります。また、土井晩翠は、ここでもう一句詠んでいます。

「義民の詩」~目に見えぬ、神秘の力我を引き、義人の墓に、今日詣でしむ~

ところで、江戸時代、上杉景勝は米沢藩に移封され、会津藩は小さくなりました。その際、南会津のこの地域南山は、御蔵入して幕府直轄領になりました。

この南山御蔵入時代に起こった百姓一揆の際に起きた悲劇の供養の1つがこの六地蔵となります。騒動結審の際、最後に残った6名は打ち首に処されたのでした。

さて、この六地蔵には小綺麗な赤い帽子と前掛けが寄せられています。郡役所の気さくな叔母様がこの地蔵たちの話をしてくれました。

毎年冬には大雪、雪が解け桜の咲くころにはボロボロになってたそうです。勤めで何年も見ていたものですが、これがなぜか毎年盆のころには新品の綺麗なおべべに代わっていたそうです。

郡役所でもおべべの管理はしてない。丸山公園でも管理はしてないのに、なぜか毎年新品になる理由がわからなかったそうです。

ちょうど数年前ほど、90歳を過ぎたおばーさんが郡役所の受付、気さくな叔母様のところにやって気ました。

「おらもぁ~もぉだめだえぇ~。目が見えなくて縫えなくなってもうた。」ということで、赤い布切れを持ち、言ったそうです。

聞けば、六地蔵のおべべは、このおばーさんが何十年も一人で交換されていたそうです。古くは当時の婦人会で行っていたらしいのですが、最後の一人になって、できなくなって、旧郡役所に足を運んできたのでした。

おばーさんは、2度程死に目にあい辛くも生き延びたそうですが、2度目の時には、この六地蔵に救われたと感じたそうです。

今年は、今週土曜日、この六地蔵の供養祭が行われます。郡役所の気さくな叔母様は、今新品のおべべを縫っているところです。

古代ギリシア、イーリアスのお話のつもり、今回は、その訳者「土井晩翠」のワンシーンに触れる所まで。続く。