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二十四節気ことはじめ、淮南子 天文訓と月

‹ 2024/02/21 ›

こんばんは。寒の戻りがやってきました。


さっそくですが、植物を育てていますと、二十四節気について、随分と興味がわくようになります。

この用語について、Wikiの中文版を開くと、殷の時代は四気節、周になり八っつとなり、秦・漢までの間に二十四節気となったとあります。

そして、この「二十四節気」を最初に記したのが、漢の時代の'淮南子'、その書「天文訓」となります。



この天文訓をさらっと読み上げて、当初の理解がどんなものだったのか、印象深いところを紹介します。


まず、節気の経緯からもわかる通り、天文訓の冒頭は、冬至と夏至を見つけ、また秋分と春分を見つけるところから始まります。

陰と陽、日の陰る時間の長さ、日の当たる時間の長さ、そしてその時々の星の位置。

そんなものを読み解き、陽が増すと何が生じ、また、何が滅し、陰が増すと何が生じ、また何が滅するか。

祭祀は何をすべきか、喪紀には何をすべきか等々、その理由と因果を難しく説明した訓書であり、二十四節気はその訓の説明の一部として記されています。


では、印象深かった2点の紹介。


一つ)中盤過ぎから

「天に順はざる者は、生に逆らう者 也」

「二十四節気」もそのひとつ、確かにですね。


一つ)最終節より

「・・・にして十萬里となせば、 則ち天の高さ 也」

漢の地で、一里が凡そ3.9kmだったとしますと、十万里は39万kmとなります。

地球と月の距離は凡そ39万km弱です。


ほぉー、やはり、そこが天だったんですねえぇ。^^;

参考

Googleブックス:和訳淮南子

所蔵:慶応義塾大学