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~百一年茶箱~③歴史を視る

‹ 2021/11/12 ›

こんばんは3!なんだかこの茶箱に興味が湧いてきませんか?!

私は沸き上がってしまいました。苦笑

そんなことで、この茶箱から読み取れる歴史を掘り下げてみようと思います。

まずは、この一枚。

なんだか読み辛いですね。

補修後再度張り戻ししようと思って、出来るだけ丁寧に内張りの和紙を剥がしてみたんです。

文字が逆さまです。

先の話から納税に関する書類でしたね。昔の出納帳から、もう不要とおもわれる部分を和紙として再利用したんですね。

ちょっとそのまま読めるのはどうかなぁ?ということで裏返しに使ったみたいですね。

で、こちらです。

その中でなんとか上手に剥がせて表向きに戻せる和紙が1枚分出てきました。

大字で書かれ、昭和二年納税とあります。

昭和筆の和紙もありました。

ということは、この箱の補修は昭和に入ってからもしていたということになりました。納税帳をクズにしてよい頃って、この時代5年経過後くらいでしょうか?

分かりませんが、まぁそんなものと考えて、この箱の最後の補修は、ばぁさまが嫁に来る昭和20年頃~昭和数年の範囲ってことになりますね。

次はどういったエリア、どういう財税だったのかを見てみます。

税目に、田税、畑税、宅地税、村地税、村家屋附加税、県地税附加、県家税といったもの、そして自動車税がありました。

『えっ、自動車税!?』

ちょっと待ってくださいよ・・・、この時代の自動車ってどういう定義だったんでしょう!?

田舎の農家でそんな高級な車を持ってたとはとても思えません。

ばぁさまも、家に飯食いが多いと大変だから早めに嫁に出されたと云ってます。

ん~、ばぁさんが嫁に来た時代、うちはまだ馬を野良作業に使ってました。今でも馬小屋跡あるし、車は私の親の世代からだし、じーさんはバイクが精一杯だったと覚えてます。

馬にひかせる荷台に車輪がついていたら自動車?いや、これは自動とはいえないよねぇ。

テーラーが自動車?テーラーは私の親の代で現役だったくらいなんで、昭和二年にテーラーあったのか??

調べてみましたら1920年(大正九年)の頃から日本でも導入が始まったようなので、どうもテーラーが正解のようです。

さて、他の税目に戻りますと、田税、畑税、宅地税ってのはまぁ、私有財産への課税だと分かりますが・・・。

村地、村家、県地、県家に納税義務があるって・・・どういう立場だとこうなるの?!@@

ところどころで、立替というキーワードが多発してましたので、この出納長は当時の村役で持ち回る会計帳簿でしょうかね。

当時は納税と徴税って、村人がやってたのかもですね。

そうなると、自動車相当品(おそらく農機具)も村で所有してたのかもですね。確かに私の母が嫁に来た頃でも、電話はこの村でも1つしかなかったと聞いてます。

今でも村や町内会単位でお宮、集会所などは持ってますし、村地税、村家屋に係る税、そのほか共有財産を村役が管理してたってところまで、見えてきました。

分かり難いのは、県地、県家税ですね。

はぁ?

なんですよね。

昭和の『農地改革』と云えば、前後間もなくのGHQのお仕事です。

この時ようやく、概ねの農地、建物なんかが農家毎に分配されたんですよね。それ以前は、まだ地主と小作人の関係性時代。

特に東北は地主と小作人の力差が大きかったみたいですね。

また、村家屋、県地には~附加~が付いてるのも気になりますね。

ん~、どうもこの帳面から推察しますと、村役というか地主っぽいですね。村地、県地あたりも管理地にしていて、小作料を徴収しつつ、納税をしていた感じがプンプンです。

附加が付いてるのは追徴だとしますと、いつぞやの差額分を附加納税ってことですかね。

では最後の一枚。こちらは、2枚目の下半面です。

合計納税額が細かく書かれています。

が・・・、実際に納めた金って、簡単な正数枚数ぽいですね。

本村分が金三十二枚、離れ分が六枚。

細かな銭は役所からお釣りがもらえなかったのでしょうか?!

ついでに、税と一緒に農会費まで徴収してますね。w

さて、~主 大堀~というのがばぁさんの父親であることは判明してますので、当時の大堀家が一体どんなもんだったのか、詳しく聞ける材料が整いました。^^